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話題の映画JOKER(ジョーカー)を映画館に見に行ってきました。
「クリストファー・ノーラン」監督の「ダークナイト 2008年」に出てくる「ヒース・レジャー」が演じるジョーカーが格好良くて、悪役ですが好きなキャラクターです。
「スーサイド・スクワッド」の時のジョーカーも雰囲気違って、あれはまた違うよさがあるのでいいのですが、やっぱりなんか物足りなさを感じたんですよね。
今回、ジョーカーを演じたのは「ホアキン・フェニックス」という役者です。
本作『ジョーカー』は2019年10月4日に日米同時公開されたトッド・フィリップス監督作で、上映時間は122分。音楽はヒドゥル・グドナドッティルが手がけています。ここからは、まずネタバレなしの感想を書き、途中で明確に区切ってから、鑑賞済みの方向けにストーリーの核心へ踏み込んだ考察を続けます。

基本情報
| 邦題 | ジョーカー |
| オリジナルタイトル | JOKER |
| 上映日 | 2019/10/04 |
| 作成国 | アメリカ |
| ジャンル | ドラマ・クライム・スリラー |
| 監督 | トッド・フィリップス |
| 上映時間 | 122分 |
| 音楽 | ヒドゥル・グドナドッティル |
あらすじ
『ハングオーバー:トリロジー』で知られるトッド・フィリップス監督が、バットマンのヴィランとして有名な”JOKER”の誕生を描くクライムドラマ、つまり犯罪映画である。
80年代のゴッサムシティを舞台に、母の言葉「どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい」を心に、母の願いを叶えようをピエロに扮して必死に生きている主人公アーサー。
しかし、世間は甘くも優しくもなかった。
それでも前を向いて生きていくアーサーの心を折る出来事が起こる。ここから落ちぶれたコメディアンの男が、徐々に狂気の道化”JOKER”へと変わっていく様を描く。
主人公アーサー・フレックを演じるのはホアキン・フェニックス。彼を追い詰めていくトーク番組の司会者マレー・フランクリンをロバート・デ・ニーロ、隣人のソフィー・デュモンをザジー・ビーツ、アーサーの母ペニー・フレックをフランセス・コンロイが演じています。
感想
ネタバレなしの感想
『質の高い好みが別れる映画』
この一言につきると思う。
まず、舞台となる街の貧しさや人々の心の貧しさなど空気感はとてもリアルだった。
ホアキン・フェニックスの異常な痩せ方、表情の魅せ方などは鳥肌がたつものも多かった。
そして、喜劇的妄想なのか事実なのかはっきりさせ過ぎないところもこの映画の魅力に感じた。
世の中の不条理、度重なる不幸といった質感や、各人物の狂気、後ろめたさや栄華を誇示するなど様々な含みをもった演技を観ると名作と言われるのも納得である。
しかし、何と言っても”JOKER”の話。バットマンのヴィラン、つまりヒーローと同等の存在感を放つ人物であるとされるとして有名な”JOKER”の誕生話として観ると物足りない。
さまざまな伏線があったり、善悪が入れ替わるなど引き込まれる点は散りばめられているものの、没頭してしまい、手に汗かいて映画を観る、そういう点がなかった。
意味不明な狂気や感覚をもつ存在”JOKER”としての狂気や迫力に欠けていると感じる映画であった。
一歩引いて俯瞰している感覚であった。
反対に”JOKER”に思い入れさせ過ぎない監督の意図なのかもしれないとも感じた。
どれだけ有名であっても悪役である。その”JOKER”が賛同される存在であっては危険だからであろうか。
そんな中、ここまでの説得力を持たせているのはBGMや間合いといった脚本や演技力の賜物であろうともかんじた。
”JOKER”としての理解不能な狂気や感覚は感じられなかったが、観てよかったと思う。
『アーサーの不幸の塊のような人生』が鍵である。
彼ほどではないにしても、人は悲しみや不幸が起きることはあるし、そんな時に笑い飛ばすこともある。
アーサーのそれらに惹きつけられ身震いし、その狂気に恐る。それとともに、自分の中の”JOKER”のような部分、つまり現実逃避や妄想と近くにいるのかもしれないと思って見てみると面白い。
ジョーカーは素性がわからないから恐怖を感じてたと思って、生い立ちとか知ってしまうよジョーカーの人間性がわかり、かわいそうだなと同情が入ってしまうと、恐怖が薄れる気がしました。
ジョーカーの笑い方が特徴的で「ハハハハハハハ」と笑うのですが、ホアキンのジョーカーの笑い方はどこか寂しさを感じました。
もっとジョーカーにカリスマ性がほしかった。
⚠ ネタバレ注意
ここから先は物語の核心に触れる感想・考察です。未鑑賞の方は、本編をご覧になってからお読みください。
ネタバレあり感想・考察
印象的だったシーン
R15指定でしたが、グロシーンは1箇所くらい。
小さいピエロが酒を持って家にきたら目を閉じる準備を。笑
個人的に一番忘れられないのは、地下鉄で3人を殺害したあと、公衆トイレで一人静かに踊り出す場面と、その流れで階段を降りながら踊るシーンです。誰に見られているわけでもないのに体が動き出してしまう、あの解放感と不穏さが同居した振り付けは、アーサーがジョーカーへと生まれ変わっていく瞬間そのものを体現していて、セリフより雄弁でした。
終盤、憧れだったマレー・フランクリンの番組に出演し、生放送の空気が一変していく展開も強く印象に残りました。笑われる側から笑いを支配する側へ立場が逆転していく緊張感が、あの一室の中だけで一気に高まっていく構成に引き込まれました。
キャラクターについて
母ペニーとの関係は、アーサーの人生を理解するうえで欠かせません。彼女を献身的に介護する姿からは息子としての愛情が伝わる一方で、母の過去にまつわる真実に近づいていくにつれて、アーサーの中で何かが決定的に壊れていくのが分かります。
隣人のソフィーとの関係も印象的でした。優しく接してくれる彼女とのやり取りの多くが、実はアーサーの妄想だったと示唆される演出には、鑑賞後にじわじわと背筋が寒くなりました。
良かった点・気になった点
良かった点を挙げるなら、社会の不条理が積み重なって一人の人間を追い詰めていく過程に、終始説得力があったことです。予算削減で精神科のカウンセリングが打ち切られてしまう場面など、地味だけれど現実味のある不幸の積み重ね方が効いていました。
気になった点は、終盤の畳みかけるような展開のスピード感です。感情の整理が追いつかないうちに次の場面へ進んでしまう瞬間があり、もう少しじっくり浸りたかった気持ちも残りました。ここは、ネタバレなし感想で書いた「もっとジョーカーにカリスマ性がほしかった」という気持ちにもつながっています。
総評・一言まとめ
総評として、ホアキン・フェニックスの怪演、社会の不条理が一人の男を怪物に変えていく過程の説得力、そして階段のダンスシーンに象徴される変貌の瞬間、この3点だけでも観る価値は十分にあると思います。ただ、観終わったあともずっしり重さが残る映画でもあるので、手放しで5点にはしていません。5点中4点、それでも観てよかったと言える作品でした。
まとめ
このふたつの映画を見てから、もう一度ジョーカーを見ると、また違って目線から楽しめるようです。
また見たら感想を追記したいと思います。
皆さんも是非ジョーカーを御覧になってみてください!
監督
トッド・フィリップス
本作のあらすじでも触れたとおり、トッド・フィリップス監督はコメディ出身の作家です。それでも本作では一転してシリアスなクライムドラマを手がけました。笑いと狂気が紙一重で入れ替わるアーサーの変化を違和感なく見せられたのは、笑いの構造を熟知した監督だからこその手腕だったのかもしれません。
キャスト
ホアキン・フェニックス
アーサー・フレック/ジョーカーを演じたホアキン・フェニックスは、本作の演技で第92回アカデミー賞主演男優賞を受賞しています。体重を大きく落として役作りに臨んだと言われる痩せた体つきや、コメディ的な笑いではなく発作として描かれる引きつるような笑いの演技は、ネタバレなし感想でも触れたとおり、観ていて鳥肌が立つ場面が多くありました。
ロバート・デ・ニーロ
アーサーの憧れであり、やがて彼を人前で辱めることになるトーク番組の司会者マレー・フランクリンを演じたロバート・デ・ニーロ。次の「関連作品」で触れるとおり、彼自身のフィルモグラフィーを踏まえて観ると、この配役にはまた別の感慨があります。
関連作品
タクシー・ドライバー
ロバート・デ・ニーロが主演でタクシーの運転手を演じています。
この運転手は少し足りない人でジョーカーに似ています。
過去にロバート・デ・ニーロがジョーカーに似た役を演じていて、時が経ってジョーカーに殺されるとは、なんてことでしょうか。
そんな伏線があったとは。
ジョーカー フォリ・ア・ドゥ
アーサーのその後を描く続編『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』のレビューも書いています。本作の結末をどう受け止めたかによって続編の見え方も変わってくるはずなので、気になる方はこちらのレビューもあわせてチェックしてみてください。