※本記事にはアフィリエイト広告(PR)が含まれています。
『マトリックス』を観終わった夜、部屋の天井を見上げて「この世界も誰かの計算なのでは」と少し怖くなる。
検索するとシミュレーション仮説が本気で論じられていると知り、余計に眠れなくなるかもしれません。
私は理学部で物理を学んだ立場から、宇宙の情報量の見積もりや実際の観測結果を手がかりに、この問いを考えてきました。
この記事ではマトリックスを入口に、シミュレーション仮説を計算資源・プランク長・検証可能性の3つの壁に分けて物理で解説します。
読み終えるころには、作品のどこまでが物理で語れて、どこからが創作なのかを自分の言葉で説明できるようになります。
あいちゃんマトリックスみたいに、この世界が実はコンピューターの中だったら…と考え出すと止まらないんです。物理で否定できないんですか?
えぞえ実は、否定も証明もまだできていないんです。でも数字で順番に考えると、どこが難しいのかははっきり見えてきます。
今回の記事の内容
- シミュレーション仮説とは何か(哲学者ボストロムの3つの可能性)
- 宇宙を計算するのに必要な情報量と、プランク長をめぐるよくある誤解
- 仮説を検証する試みと、『マトリックス』の描写の科学的な線引き
『マトリックス』の基本情報とシミュレーション仮説とは

シミュレーション仮説とは、私たちの世界が高度な文明のコンピューター上で動く仮想現実かもしれない、という仮説です。
『マトリックス』は、ウォシャウスキー姉妹が監督した1999年公開のアメリカ映画です。
コンピューターが作り出す仮想の世界を題材にしたSFアクションで、スローモーションを多用した映像表現でも広く知られています。
公開から25年以上たった今も、「この世界は仮想現実なのか」という問いの入口として語られ続けています。
哲学者ボストロムが示した3つの可能性
学術的な議論として有名なのが、オックスフォード大学の哲学者ニック・ボストロム氏が2003年に発表した論文です。
この論文は「私たちはシミュレーションの中にいる」と断定するものではありません。
次の3つのうち、少なくとも1つは正しいはずだ、という形の議論です。
- 文明は、祖先を丸ごと再現できるほどの計算力を持つ前に滅びる
- その計算力を持った文明も、祖先の世界を再現することにはほとんど興味を持たない
- 私たちは、ほぼ確実にシミュレーションの中にいる
1と2が両方とも外れるなら、再現された世界の数が本物の世界を大きく上回ります。
そうなると、自分が再現された側にいる確率のほうが高くなる、という理屈です。
物理の問いに置き換えると「宇宙は計算できるか」
物理を学んだ立場から見ると、この議論は「宇宙は計算で再現できるのか」という問いに置き換えられます。
宇宙の状態をすべて知れば未来まで計算できるという発想は、ラプラスの悪魔の考え方とも重なります。
ここから先は、その計算がどれほど大変なのかを数字で確かめていきます。
⚠ 注意
ここから先はネタバレを含みます。物語の展開は書きませんが、作中の設定に触れます。
本記事は物理の解説を目的としたエンタメ記事であり、作品や仮説の学術的な正確性を主張するものではありません。
壁1:宇宙を丸ごと計算するのに必要な計算資源

結論から言うと、宇宙を細部まで正直に計算するには、宇宙そのものより大きなコンピューターが必要になると考えられています。
宇宙を「最小の箱」で数えると10185個
仮に、宇宙を物理で意味のある最小の目安「プランク長」の大きさの箱で区切るとします。
プランク長は約1.6×10−35メートルです。
観測可能な宇宙の体積をこの箱の体積で割ると、およそ10185個になります。
4Kテレビの画素が約830万個なので、比べること自体に意味がないほどの数です。
世界中の記憶装置の容量を合計しても1024ビット前後とされ、1つの箱に1ビットずつ記録するだけでも桁が160以上足りません。
情報の量には「表面積」で決まる上限がある
一方で、ある空間に詰め込める情報の量には上限があると考えられています。
この上限は体積ではなく、その空間を囲む表面の面積で決まるとされ、ブラックホールの研究から生まれた考え方です。
この考え方で見積もると、観測可能な宇宙の情報量の上限は10122ビット程度だと考えられています。
情報と面積のつながりは、ホーキング放射の研究とも深く関係しています。
量子の世界では計算量が倍々で増える
さらに厄介なのが、量子の性質です。
量子の世界では粒子どうしの状態が絡み合うため、2つの状態をとる粒子が1個増えるたびに、記録すべき数が2倍になります。
こうした粒子300個を普通のコンピューターで正確に再現すると、2の300乗、つまり約1090個の数を扱う必要があります。
観測可能な宇宙にある原子の数は1080個ほどとされるので、宇宙の原子をすべて記憶装置にしても足りない計算です。
■ ここがポイント
宇宙を正直に計算するには、宇宙より大きな計算機が要ると考えられます。仮説を支持する立場は「観測された部分だけ計算すれば足りる」と考えますが、それ自体が確かめにくい仮定です。
見ている部分だけ計算する、という抜け道
ゲームでは、プレイヤーの視界に入る景色だけを細かく描き、遠くは粗く処理して計算を節約します。
シミュレーション仮説を支持する人も、同じように「観測された部分だけを計算すれば足りる」と考えます。
ただし、この抜け道を認めると、どんな観測結果も「そう計算されていた」で説明できてしまいます。
この点が、後で見る「検証できるのか」という3つ目の壁につながります。
壁2:プランク長は宇宙の画素なのか

プランク長を「宇宙の画素のサイズ」と呼ぶのは、よくある誤解です。
プランク長の小ささを比喩で見る
プランク長は、想像するのが難しいほど短い長さです。
原子1個を地球の大きさまで拡大しても、プランク長は原子核をつくる陽子のおよそ1000分の1にしかなりません。
実験で直接たしかめられる長さより、はるかに小さい世界の話だということです。
よくある誤解:プランク長は宇宙の最小マス目ではない
プランク長は、重力の強さ・量子の性質・光の速さという3つの基本的な定数を組み合わせると出てくる長さです。
この長さより小さい世界では、いまの物理の理論がそのままでは使えなくなる、という目安として扱われています。
空間がこの大きさのマス目に区切られていると、証明されたわけではありません。
プランク長は「理論が通用しなくなる目安」であって、「宇宙の画素」と確かめられた長さではありません。
もし空間がマス目なら、光に痕跡が出るかもしれない
空間がマス目状にできているなら、とても高いエネルギーの光は、その影響で進む速さがわずかに変わる可能性があります。
2009年には、約70億光年かなたで起きたガンマ線バーストで、エネルギーの違う光がほぼ同時に届いたという観測が報告されました。
この結果から、単純な形の「空間の粒々」の多くは、プランク長に近い細かさまで否定的だと考えられています。
つまり、もし宇宙に画素があるとしても、少なくとも素朴なマス目の形ではなさそうだ、ということです。
壁3:シミュレーション仮説は検証できるのか

仮説全体を検証する方法は、今のところ見つかっていないと考えられています。
宇宙線で「計算の網目」を探す提案
2012年には、アメリカの物理学者らが「宇宙が格子状の網目の上で計算されているなら、痕跡が出るはずだ」という提案を発表しました。
網目があれば、宇宙から飛んでくる最もエネルギーの高い粒子の向きに、網目に沿った偏りが出るかもしれない、という考え方です。
原子核の性質を調べるために実際に使われている「格子の上で計算する方法」をもとにした、具体的な提案でした。
ただし、偏りが見つからなくても「網目がもっと細かいだけ」と言えてしまう弱点があります。
反証できない仮説は科学の外側にある
科学の仮説は「こういう結果が出たら間違いだ」と言える形になっていることが大切だとされます。
シミュレーション仮説は、どんな観測結果も説明できてしまうため、この条件を満たしにくい仮説です。
多くの物理学者がこの仮説を、科学というより哲学の問いとして扱うのはこのためだと考えられます。
それでも考える価値がある理由
一方でこの問いは、「物理法則は情報の処理として書けるのか」という研究の流れとつながっています。
量子コンピューターの開発が進めば、自然を計算で再現することの限界も、より具体的に見えてくると予想されます。
私は、答えが出ない問いだからこそ、物理の限界を確かめる物差しとして役に立つと考えています。
『マトリックス』の描写はどこまで科学的か

「感覚は脳への信号で作れる」という土台は科学に近く、エネルギーの使い方は創作の色が濃い、と私は見ています。
作品の主な要素を、物理と科学の目で整理すると次のようになります。
| 作品の要素 | 科学から見た評価 | 判定 |
|---|---|---|
| 五感を信号で作る発想 | 視覚や触覚は脳に届く電気信号なので、原理としては筋が通る | 科学に近い |
| 技能を短時間で頭に入れる描写 | 技能は脳のつながりの変化として身につき、データを流し込む方法は見つかっていない | 創作 |
| 人間の体をエネルギー源にする設定 | 食べさせた以上のエネルギーは取り出せず、割に合わない | 創作 |
| 世界の継ぎ目が一瞬見える演出 | 計算の都合が表に出るという発想は、仮説の検証案と同じ方向 | 発想は科学寄り |
人間の体で発電する設定はエネルギー保存則に合わない
人間が1日に食べ物からとるエネルギーを約2,000キロカロリーとすると、平均の出力はおよそ100ワットです。
これは明るめの白熱電球1個分ほどで、しかも取り出せるのは食べさせた分より必ず少なくなります。
人間を養うためのエネルギーを直接発電に回したほうが効率がよいので、物理で見るとこの設定は成り立ちません。
「人間の体は効率のよい発電機になる」という言い方をときどき見かけますが、エネルギー保存則から見ると誤りです。
この設定は科学の正確さより、「人間が支配されている」という主題を目に見える形にするための仕掛けだと考えると納得がいきます。
世界の継ぎ目の演出は、仮説の検証案と同じ発想
作中には、世界の継ぎ目が一瞬だけ見えてしまうような演出があります。
計算の都合が世界の表面に出てしまうという発想は、先ほどの宇宙線の提案と同じ方向を向いています。
公開から十数年後の研究と同じ着眼点を、娯楽作品が先に映像にしていた点は、SFとしてよくできていると感じます。
感覚を信号で作るという土台は筋が通る
私たちが「見ている」と感じる景色は、目から脳へ送られる電気信号を、脳が組み立て直したものです。
失った視覚の一部を、電極による刺激で補おうとする研究も進められています。
「信号さえ同じなら本物と区別できない」という作品の土台は、原理としては筋が通っていると考えられます。
ただし、全身の感覚を矛盾なく作り続けるには、先に見た計算資源の壁がそのまま立ちはだかります。
まとめ

シミュレーション仮説は、物理で否定も証明もできていない問いです。
ただ、計算資源・プランク長・検証可能性の3つの壁に分けると、どこが難しいのかははっきり見えてきます。
『マトリックス』は、その難しさを娯楽として描き切った作品であり、物理の入口として今も優れていると私は考えています。
この記事のまとめ
- ✓ シミュレーション仮説は「3つの可能性のうちどれか」という議論で、「世界は仮想現実だ」と断定するものではない
- ✓ 宇宙を細部まで計算するには、宇宙より大きな計算機が必要になると考えられている
- ✓ プランク長は理論が通用しなくなる目安で、宇宙の画素と確かめられた長さではない
- ✓ 仮説全体を検証する方法は見つかっておらず、科学より哲学の問いとして扱われることが多い
- ✓ 作品の「感覚は信号で作れる」は科学に近く、人間の体で発電する設定は創作
よくある質問
シミュレーション仮説は科学的に証明されていますか?
証明も否定もされていません。ボストロム氏の議論は3つの可能性のうち少なくとも1つが正しいと示すもので、仮想現実の中にいると断定してはいません。どんな観測結果も説明できてしまうため、検証の方法も見つかっていないと考えられています。
プランク長は宇宙の最小単位ですか?
最小単位だと確かめられた長さではありません。プランク長は約1.6×10のマイナス35乗メートルで、それより小さい世界ではいまの理論が使えなくなる目安です。空間がこの大きさのマス目でできているという証拠は見つかっていません。
宇宙をコンピューターで丸ごと再現することはできますか?
現在の技術では不可能で、原理的にも非常に難しいと考えられています。2つの状態をとる粒子300個を正確に再現するだけで約10の90乗個の数が必要になり、宇宙の原子の数とされる10の80乗個を上回ります。
『マトリックス』を観直して、作中の描写を物理の目で確かめたい方は、配信サービスで探す方法もあります。配信状況は時期によって変わるため、視聴できるかは各サービスの画面でご確認ください。人気の映画・ドラマ・アニメが見放題【Amazonプライム・ビデオ】
※本記事は作品の批評・考察を目的とした個人の感想です。あらすじの詳細な再現や結末の解説は行っていません。引用は論評に必要な最小限にとどめています。作品名・登場人物名・画像等の権利はすべて各権利者に帰属します。